モノづくりで踏ん張る地場企業

富安は1919年(大正8年)に開業した缶詰や菓子缶などに用いるブリキ(すずめっき薄鋼板)を扱う老舗の専門商社で、現在はブリキのほか、家電や自動車用の鋼板や鋼管、建築・土木用の鉄加工品など鋼材を広く扱っている。

北海道にも建築・土木用を中心に販路を築いていたが、当時、富安の東部営業本部長だった強口(こわぐち)照雄氏は「希薄だった農業分野への足掛かりになる」という理由で北日本サッシ工業の買収を主張した。そうした経緯から、強口氏は富安に籍を置きながら子会社になった北日本サッシ工業の社長を兼務することになった。太陽光架台

「再出発後、4年目で累損を一掃できた。5年目にあたる今年は飛躍の年にしたい」。強口社長は北日本サッシ工業の経営に手応えを感じ始めている。それを支えているのが累積出荷量で出力50MW分に達する太陽光発電用の架台である。

事実上の倒産会社を引き受けた強口社長の使命は北日本サッシ工業の再生である。しかし、農業用コンテナ中心の事業構造には限界が見えていた。

コンテナは需要が秋の収穫期に集中する“季節商品”。年間を通した生産効率が悪かった。しかも、すでに普及し需要が一巡しているので、今後は買い替えしか見込めない。その更新需要も、作付け面積が減少傾向にある中で先細り感が否めない。

企業の再生に新事業の立ち上げは必須だった。「培った板金加工技術を生かせる新製品は何か」。強口社長の脳裏に浮かんだのは2008年まで4年間駐在していたドイツの田園風景だった。

強口社長は丸紅に入社後、鋼材を扱う商社マンとして20数年を海外で過ごした。2001年に丸紅と伊藤忠商事の鉄鋼部門を統合して設立した伊藤忠丸紅鉄鋼に薄板部部長として移籍し、ドイツ駐在などを経て、伊藤忠丸紅鉄鋼が筆頭株主である富安の経営陣に加わった。

最後の海外駐在になったドイツは強口社長に強い印象を与えたという。製鉄業を核に産業国家づくりを進めてきたドイツは「生活の中に鉄が溶け込んでいる」。

鉄の需要を喚起し、ものづくりをサポートする仕事を続けてきた強口社長はドイツに親しみを覚えた。そんなドイツの国土は、農地か森林が80%以上を占めるなど、農業大国としての顔も持ち合わせる。

1つの大陸の中に民族国家がひしめき、しばしば戦争を引き起こしてきた欧州の国々には農業は生命線という意識が根付いている。